昭和歌謡からJ-POPへ

日本は戦後急速に復興が進み、1950年代半ばには戦前のレベルまで国民所得が回復。それ以降も継続した経済成長を続けていくことになるが、それにつれて日本国民の生活も大きく変化していくことになる。とりわけ先進国であった西洋の文化流入による変化が顕著で、大衆音楽もその例に漏れず西洋からの影響を受けていき、そしてその後のJ-POP誕生へと繋がっていくことになる。

日本の大衆音楽は元々昭和歌謡と呼ばれるような音楽、例えば美空ひばりに代表されるようなものが本流であった。しかし西洋の大衆音楽に影響を受けた人たちが60年代後半からメインストリームへと登場し始め、フォークソングやグループサウンズとして日本の大衆音楽の一翼を担うようになる。と同時にテレビの普及に伴った歌い手のビジュアル化が進んでいき、そのため70年代にはアイドルと呼ばれる人々が大衆音楽の中心勢力となっていった。

アイドルたちは、自分自身で作詞作曲をすることはなく、専門の作詞、作曲家が彼らに楽曲を提供していた。これはアイドルが歌う楽曲において、アイドル本人が担う役割がそのルックスと歌唱部分だけであることを意味していたが、こういったスタイルは西洋においてはこの時代主流ではなくなっていた。そして80年代MTVが台頭し、音楽がビジュアルも含めた総合的な”アート”として認知されていくにつれて、日本でもアートとしての大衆音楽の復興の機運が高まっていく。つまりアンチ・アイドルとしてJ-POPは80年代後半に形作られるのである。